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恵比須神社御本殿
恵比須神社はおえべっさんとして、
人々に親しまれ海の安全航海の主神、
商売の神として崇敬されている。
主神は、事代主命
大国主命を祭る。
ちょっと鼻が大きいのが特徴かな。
阿形も吽形も子狛犬がじゃれ付いており
阿形の玉は、風化のため台座から離れております。

東側の鳥居は、安永九年(1780)
船手支配人、安川慶治の寄進した鳥居
鳥居の両柱に貝原益軒撰の、亀井宗陽書
が銘記されている。名文の刻みは「日本之
西朝鮮之東石門表海蛭子之宮、昔者樟船
乗波順風斯降紫陽垂福無窮」とある。

西側にあるこの鳥居は、慶長十二年さきに
若松中ノ島城主であった三宅若狭守家義が建立
したが、鳥居が暴風のため倒壊したため、天保五年
藩の命で再建した鳥居である。
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方位石
方位石とは「方位」と見定める石のことで、地域
によって方角石、方位盤、日時計、台石などと呼ば
れています。
このような方位を刻んだ石には、科学的は天気予
報が行なわれなかった時代、廻船問屋や船頭など
が、港の一角の小高い山や丘(日和山という)に置いて天気予測を行なったり、海上交通の安全祈願のために社寺に奉納したり、単に方位を見るため高い山やある地点に置いたりしたものがあります。
恵比寿神社の方位石は花崗岩で、2段の台座の上
に東西南北(北は○)と十二支の文字、中心に針形
を刻んだ方位盤をのせています。年号や寄進者の刻銘も確かな関係資料もないため、方位石を置いた目的や年代が不明ですが、石の耐用年数から見て、置かれたのは江戸時代末期ごろではないかと推定されます。当時の庶民生活の一端をうかがうことができる貴重な資料です。
この方位石は、もともと境内の一角の波打際に置
かれていたといわれてますが、昭和63年12月若
戸大橋の拡幅工事に伴い現在地に移設しました。
市指定有形民俗文化財
昭和四十九年三月二十二日指定。
北九州教育委員会 |
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恵比須神社の力石
黒田藩の命により、幕末の外敵
防衛のために組織された力士達の
練磨道具であった力石で、元治元年
(1864)に中ノ島の若松砲台構築に
協力した力士隊中が寄進したもので
ある。 |
境内末社
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笠森稲荷大明神
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天満宮
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